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https://www.ginzaoff.com/watch/product-17145.html 名前: スーパーコピーブランド専門店 [2020/05/23,02:41:39] No.13824
ティナは実在した!カルロス・トシキ時代の解散まで、ずっとメンバーだったギターの高島氏は、後にビーイングに所属し、多くのアーチストのプロデュースに携わります。
カルロス・トシキのヴォーカルは、当時はその歌い方を少しバカにするようなニュアンスでマネする人が後を絶たなかったのですが、鼻にかかったような歌い方は、この曲のインパクトの1つとして強烈な印象を残します。
この当時、洋楽はAORサウンドが一世を風靡していたのですが、この音そのままを林哲司が彼らのためにジャパニーズ・ポップスとして具現化していきます。
86年、「さよならのオーシャン」でソロデビュー。
「ふたりの夏物語」は1985年の年間ベストテン第2位という輝かしい成績を残したが、それが発表された頃、既に彼らは解散した後だった。
「君は1000%」「アクアマリンのままでいて」などをヒットさせたが、1991年に解散している。
しかし杉山は突然、オメガトライブの解散を発表する。
1983年、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト、『杉山清貴&オメガトライブ』として、レコードデビュー。
杉山清貴出演番組情報! そうです、杉山清貴&オメガトライブとは、プロデュースから楽曲コンセプト、そのサウンドまで、すべてを藤田社長がコントロールしていたバンドだったのです。
杉山清貴の脱退に伴い、バンドを再編、新たに日系ブラジル人のカルロス・トシキをヴォーカルに据えた、新生オメガトライブのデビュー曲です。
なぜならこの曲はメンバーの西原氏と杉山さんの共作であると同時に、シカゴのバラードを連想させるAORアレンジなので。
こんなこと、当時としては有り得なかったはずで、おそらくこれも藤田のゴリ押しによるものだったのではないかと想像します。
映像の杉山さん、若い!杉山清貴のインスタグラムに娘の真浦(まほ)さんが登場していた!今の40代にとっては懐かしい杉山清貴&オメガトライブ。
菊池桃子のサプライズ登場に杉山清貴が涙!杉山さんはこのサウンド・プロダクションに満足出来ず、つまり当たり前ですが、オリジナルを歌いたいという欲求が強く、結局2年余りでこのバンドを脱退することになります。
メジャーへの道も開かれていたのですが、自身の作品に満足出来ず、悩んでいたところに、後の所属事務所となるトライアングル・プロダクションの藤田社長より、プロの作品(と演奏)を条件にデビューの話が舞い込んできます。


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